■ 海外のある料理人の逸話

ここ一年は、世界中でコロナ感染拡大の影響を受け、簡単に行き来が可能だった海外というものが随分と遠くなってしまったようにも感じます。
政府が打ち出したGoToトラベル事業も、紆余曲折がありますし、海外旅行はもとより国内旅行すらも当面難しい状況になってしまいました。

新型コロナウィルスの影響で、1年程前までは考えられなかったこの状況ですが、数十年前も海外は遠い存在だったと思います。

~フランス料理が影響を与えた?~

今回は海外のある料理人の逸話について書いていこうと思います。

インターネットの発展により、海外の情報に関してはリアルタイムで確認できるようになりましたし、海外の商品もネット通販で自宅に居ながら手に入る時代です。

お取り寄せで、国内各地の美味しい食べ物も、宅配サービスで食事自体も届きます。

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ひと昔前まで海外の料理に関する情報は少なく、翻訳された高価な専門書か、外国語の原書を自身で翻訳しながら技術を勉強していました。

Go〇gle翻訳や便利なアプリ等もありませんでしたので、私がフランス料理の世界に入った当時も、辞書を片手に頑張っていたのを覚えています。

そんな時代よりさらに昔、1911年フランスの植民地支配を受けていたベトナムで、グエン・タト・タイン(別名グエン・アイ・クォック)という青年がフランスの海運会社の商船に若き料理人として採用されました。


グエン青年の乗ったラミラル・ラトゥーシュ=トレヴィル

現在もベトナムにはフランス統治時代の面影が強く残り、影響を与えていることは多くの皆さんの知る通りで、ベトナム料理は古来より受けていた中華料理の影響とバゲットやプリン(バインフラン)、コーヒー等のフランスの食文化もしっかりと定着しています。

日本でもフォー(ライスヌードル)や生春巻きは有名ですし、バインミー(フランスパンのサンドイッチ)、コンデンスミルクの入った甘いベトナムコーヒーも見かけることがあります。

(ベトナム語でもコーヒーはフランス語と同じ【カフェ】と呼ぶそうですね。)

先のグエン青年は、マラッカ海峡、インド、紅海、地中海等、各地を経由しフランス・マルセイユに降り立ちます。

その後、アメリカ、イギリス等にも渡り商船の厨房やウェイターだけでなく、ホテルの厨房等でも働いたようです。

フランスのカールトンホテルで働いていた際は、現代フランス料理の父とも言われる晩年のオーギュスト・エスコフィエ(フランス料理の世界で彼を知らない者はいないといわれる人物)の厨房でも働いていました。

現代フランス料理の基礎を築いた オーギュスト・エスコフィエ

時期は異なるようですが、同じ時代にエスコフィエの下で働いた日本人として、【天皇の料理番】として小説やドラマなどでも知られる、宮内省(宮内庁)主厨長を務めた秋山徳蔵氏が有名です。

各国を巡り、料理だけでなく語学や文化・思想など多くの事を学んだグエン青年は、ロシア革命の際、レーニンを支持、1919年フランス社会党に入党し、政治活動を本格化させました。

この頃より彼は料理人としてよりも、革命家として名前が広がっていったようです。

ベトナムに戻り、若き料理人は後にホー・チ・ミンと呼ばれる国家の指導者となり建国の父と呼ばれる存在になりました。

料理人時代のホー・チ・ミン氏

現在、ベトナム南部の同国最大の都市ホーチミン市も、彼にちなんで改名された都市(旧称サイゴン)です。

初代ベトナム民主共和国主席、ベトナム労働党中央委員会主席 ホー・チ・ミン氏

生きる時代は違いますが、今後若い料理人やサービススタッフ等が国家や世界を変える存在になっても何ら不思議ではないと思う今日この頃です・・・。

初代ベトナム民主共和国主席、ベトナム労働党中央委員会主席 ホー・チ・ミン氏

そういえば、そんな時代の古いメニューを手に入れまして・・・・

そのお話はまた、別の機会に。

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<ブログ投稿>
高橋 健太 KENTA TAKAHASHI 

2003年 辻調理師専門学校フランス校 卒業後
フランス・ローアンヌ トロワグロ勤務
2004年 帰国後 アークヒルズクラブ 入社
その後、都内のレストランで勤務
2010年 ルヴェソンヴェール東京入社

日本ソムリエ協会 認定ソムリエ
メートル・ド・セルヴィスの会 会員

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Posted by madoi